日本企業の生産性はなぜ低いのか?

サムスンの躍進を支えた3つのイノベーション

東京大学大学院経済学研究科  ものづくり経営研究センター特任研究員 吉川良三 氏

✕ 日本企業ほど効率的なものづくりをしているところはない
         
◯ これまでのやり方そのものを変えなければ、生産性の大幅な向上は見込めない


 「トヨタのカンバン方式」に象徴される日本のものづくり信仰からか、日本ではいまだに「日本企業の生産性は高い」「日本ほど効率的にものづくりをしているところはない」と思い込んでいる人が多いようだ。

日本企業の生産性が低い理由

 そもそも生産性とは、インプット(労働力や資本)に対して、どれだけアウトプット(利益や付加価値)を生み出せたかを意味する。そして「生産性が高い」というのは、かけているコスト(労働力や資本)に対して、より多くの利益や付加価値が生み出されている状態をいう。

 多くの日本企業が「乾いた雑巾を絞るような」コスト削減努力を重ね、人員削減にまで手をつけている。にもかわらず、利益率など収益性が国際的に見て低いままなのは、努力の方向が間違っているからにほかならない。

 分子を拡大する、すなわち「いかに多くのアウトプットを生み出すか」という視点抜きに、生産現場における効率アップを図ったり、コストをぎりぎりまで削ったりしても、その効果には限界がある。ライバル企業も同じようなやり方をしていた時代ならともかく、デジタル化の進展で、いまや生産性向上の概念そのものが変化している。より大きな効果を得るためには、従来の延長線上にはない、大胆なアプローチが必要になっているのだ。

起死回生をかけたサムスンの3PI運動

 本連載ではこれまで、危機に直面したサムスンが日本の後追いをやめ、グローバル競争を勝ち抜くために、従来のやり方をすべて変えるほどの大胆な改革を断行したことを述べてきた。それが、今回紹介する人材育成(「パーソナル・イノベーション」)、製品開発(「プロダクト・イノベーション」)、開発・生産プロセス(「プロセス・イノベーション」)の3つのイノベーション(通称「3PI」)だ。

 サムスングループを率いる李健熙(イ・ゴンヒ)会長は、グローバル化とデジタル化という世界の変化を敏感に感じ取り、日本の物まねを続けていたのでは生き残れないという強い危機感から、1993年、「妻と子供以外は全て取り換える」という言葉に象徴される「フランクフルト宣言(新経営)」を発表し、大改革に着手した。3PI運動はこの新経営を受けて始まったものだが、その後軌道修正を経て、97年末に韓国を襲ったIMF危機以降、本格的に効果を表すことになる。

 IMF危機で組織存亡の瀬戸際に立たされたサムスンは、従来の日本のものづくりのやり方からはっきり決別し、まさしくゼロの状態からすべてを見直して、日本企業がまだ市場として見ていなかった新興国市場に活路を見出すこととなった。その際、新興国の消費者の多種多様なニーズに対応しつつ、低価格でも確実に利益を上げることを可能にした原動力が、この3つのイノベーションだった。

デジタルデータを活用した「刺身方式」で開発期間を短縮

 このうち筆者が携わった「プロセス・イノベーション」は、製品開発や生産などにおけるすべてのプロセスを、より効率的にしていくことを目的に進められた。プロセス・イノベーションではまず、事業所ごとにばらばらだった部品コードの統一と標準化を行い、それと並行して設計や開発に関わる全情報の一元管理システム(PDM;Product Data Management)を構築。そのうえで、CAD/CAMと呼ばれるコンピューター支援による設計・製造システムを整備した。CADはコンピューター支援により設計作業を行うこと、CAMはコンピューター支援で製造することで、CAD/CAMはこの2つを統合したシステムの総称だ。

 情報がデジタル化し、社内に情報を集約する"ハブ"をつくることが可能になったことで、同じ目標に向かって動いている人たちが別々に行っている作業を同時並行的に進められるようになった。ひとつの製品を複数の部分に分割し、複数の設計者が並行して作業を進めていく「チーム設計」や、商品企画、デザイン、設計、製造、品質管理、営業、アフターサービスなど、異なる部門の人たちが同時に開発を進める「コンカレント開発」といった手法は、PDMがあることで初めて可能になるものだ。

 こうした変化は「串焼き方式」と「刺身方式」の違いに例えることもできる。串に刺さった焼き鳥は通常、鳥、ネギ、2番目の鳥・・・というふうに、先のほうから順番に食べていく。同様にかつての商品開発は、商品企画→デザイン→機能設計→構造設計→生産へと、作業が順送りで進められていた。

 プロセス・イノベーションを果たしたことで、それが刺身方式へと変わった。何種類もの魚介類が皿に盛りつけられている刺身では、マグロが先かイカが先かと食べる順序が決められているわけではなく、複数の人が同時に、それぞれ好きなところから食べられる。商品企画が続いているうちにデザインを始め、デザインの最中に機能設計、構造設計も始めるという開発方法が、デジタルデータをやりとりすることで可能になり、短期間により多くの種類の製品を生み出すことができるようになった。日本企業はいったん開発がスタートしたら何があっても最後まで突っ走るが、サムスンでは、需要の下振れやコストの増加といった変化があれば、途中で撤退する機能を備えているのも特徴だ。

 串焼き方式はアナログ時代のものづくりであり、刺身方式はデジタル時代のものづくりだ。両者ではそのスピードや柔軟性に大きな差が生まれるのは言うまでもない。

「見える化」から「見せる化」へ

 サムスンはPDMを進化させていく過程で、社内の各部署はもちろん、海外の事務所や社外の部品メーカーにいたるまで、製品に携わるすべての人が、必要なときに必要な情報をすべて見られるようにした。たとえば、信頼できる外部の部品メーカーであれば、正式な受注がある前に情報を見ることができるようにしたことで、設計図の完成を待たずに準備を進められるようになり、開発期間の大幅な短縮につながった。

 さらにサムスンで筆者は、「見える化」にとどまらず、必要に応じて「見せる化」することも心がけた。求められる情報をグラフにしたり、複数のデータの関連性を視覚化したりして、情報を相手にとってより有益なものになるよう加工することで、決定までの時間を短縮するとともに、人による判断のばらつきを減らして決定の精度を上げることができるからだ。

 日本ではまだまだ、デジタルものづくり=設計情報などをデジタル化すること、という認識でとどまっている企業が多い。デジタルものづくりの本質とは、本来このように、組織のあり方や働き方の変革を伴うものなのだ。

地域に精通した人材を育成し、新興国の需要を発掘

 3PIの根幹ともいえるパーソナル・イノベーションでは、社員の意識改革と、グローバル時代に対応できる人材の育成を図った。なかでも大きな役割を果たしたのが、「地域専門家制度」だ。

 この制度では対象者を「人力開発院」という人材育成機関に3カ月間カンヅメにし、その国の言葉はもちろん、文化や習慣なども叩き込む。日本企業はいまだ英語偏重だが、ここで学ぶのは主に新興国の言葉で、インドであれば、現地語のヒンズー語やタミル語だ。筆者も担当したことがある日本語のクラスでは、生け花や茶道、カラオケ専門の教師もいて、教室には、歌舞伎や能の舞台の模型まであった。

 人力開発院で集中教育を受けた後は、実地研修として派遣先の国に半年から1年間、滞在させる。興味深いのは、彼らはその滞在期間中は何ひとつ任務を帯びないことだ。現地事務所や駐在員を一切頼らないというルールさえ守っていれば、極端な話、毎日パチンコ店に通っていてもいい。

 そうして現地の社会に溶け込み、独自の人脈やルートを構築した「地域専門家」は、正式に派遣された後、情報やトレンドをいち早くキャッチして、地域のニーズに合致した製品を次々に企画していった。

競争を優位に運べるシステム構築を

 「パーソナル・イノベーション」や「プロセス・イノベーション」があったうえで、3つ目の「プロダクト・イノベーション」も成り立つ。この改革でサムスンは、前回説明したリバース・エンジニアリングの手法を駆使し、中国向けにはジャガイモが洗える洗濯機、インド向けにはかさばるサリーが洗える洗濯機、といった具合に、地域ごとの要求機能(ニーズ)や制約条件に応じた製品の開発力を高めていった。要求されていない機能も全部詰め込み、世界中に同じ製品をばらまこうとしている日本企業とは対照的な道を進んだのだ。

 このようにしてサムスンは、デジタル化を最大限に利用し、各国消費者の多種多様なニーズに応じた製品を安価かつ迅速に提供できる仕組みをつくりあげ、それらを武器に、新興国の市場を席捲した。従来のやり方そのものを見直して、競争を優位に運ぶシステムを構築したことで、グローバル競争の勝者になることができたのだ。

 こうしたサムスンのイノベーションについて、「何も新しい技術を生み出していないではないか」と反論する人もいる。日本では「イノベーション」が「技術革新」という意味にとらえられているためだ。

 これは筆者の持論だが、日本をダメにした「誤訳」が3つある。既存の技術を組み合わせて、消費者に新しい価値を提供することも、本来は立派なイノベーションだ。逆にいうと、いくら新しい技術を開発しても、市場に受け入れられなければ、イノベーションとはいえない。同様に、「マーケティング」は「市場調査」と訳されることが多いが、サムスンでは「市場発掘」「市場創造」という意味にとらえていて、そのために大勢の「地域専門家」を育成している。そしてもう1つ「コンプライアンス」という言葉も、「法令順守」ではなく、「時代の変化に適応するために、従来のやり方を変える」ことと解釈すべきだ。3PI運動は、「社会のパラダイム変化に追従したサムスン流のコンプライアンス」とみることができる。日本企業は一度、こうした発想を根本から見直してみてはどうだろうか。

吉川 良三 (よしかわ りょうぞう)

1940年生まれ。63年、日立製作所に入社後、CAD/CAM(コンピューターによる設計・製造)システムの開発に従事。89年よりNKK(現JFEホールディング)エレクトロニクス本部開発部長として、次世代CAD/CAMシステムを開発。94年から韓国サムスン電子常務として、CAD/CAMを中心とした開発革新業務を推進。2004年に帰国後、東京大学大学院経済学研究科 ものづくり経営研究センター特任研究員。著書に「危機の経営」(2009年、講談社、畑村洋太郎共著)、「サムスンの決定はなぜ世界一速いのか」(2011年、角川書店)、「勝つための経営」(2012年、講談社、畑村洋太郎共著)など。